「伽藍とバザール」エリック・スティーブンレイモンド, 山形浩生

伽藍とバザール―オープンソース・ソフトLinuxマニフェスト

伽藍とバザール―オープンソース・ソフトLinuxマニフェスト

オープンソースのまさに“マニフェスト”的著作。


本書の主旨は、パソコンなどのソフトウェアの開発方法において、少数のエリートによって閉鎖的・秘密主義的に開発する方法論(伽藍建築方式)と、ユーザーが共同開発者としてよってたかって参加して開発する方法論(バザール式)との比較。
オープンソースとは後者の方法でソフトウェアを制作する方法のことで、世界中のプログラマーがボランティアベースで協力して改定作業を続けるLinux OSがその典型例。いまやMicrosoftWindows OSを脅かしている。


この論文をネットで読んだのは10年ほど前になります。
知的財産権に関する関心が多少あったため、オープンソースという概念に興味を持ち始めた頃でした。
(単純にタイトルに惹かれたというのもあり。CDのジャケ買いに近かったかも)
当時、気鋭の訳者の山形氏という人もイケてました。


さて、自分はプログラマーではないので、当時どこまで理解できていたかは怪しいですが、なのにまあ、そのあまりに斬新な概念(の整理)に眩暈がするほど衝撃を受けました。


なぜ、いまこれを読み直すかといえば、いま起きていることの多くは、ここで扱っている概念から始まっているからです。
GoogleリナックスOSサーバーに支えられているわけだし(だからMicrosoftと競争できるてるわけだし)、Netscapeがブラウザをオープンにしたことから始まったブラウザソフト「FireFox」はいよいよ実を結び始めているし、辞書サイトのWikipediaはバザールな辞書作りといえる。
そして、この方向はますます拡大していく。


コンピュータのソフトに限らず、何か価値を生み出すという場面において、これまでのフツウの感覚は、伽藍建築方式であり、私も、なかなかその固定概念を拭い去れないでいます。バザール方式で物事を考えるという感覚は、なかなか馴染まない。
しかし、全世界の知能を集合化できるインターネットの本質的効用を考えると、後者はますます多岐に浸透してくるでしょう。このシステムは過信すればすぐに崩壊する危うさを常に持っているものの、それは技術の発展のみならず、政治的な意味を含めて人類社会をより良くできる大きな可能性を秘めた概念です。ビジネスでもNGOでも芸術でも、オープンソース集合知ということを、まだまだ掘っていく価値があると思います。



今の子供たちは、きっとこの感覚がネイティブで身につくのでしょうね。
それって世界の捉え方において、すごく大きな違いになるのでは。
モノを所有する欲求は少なくなるかもしれない。人生の夢の持ち方も変わるかもしれない。




評価:★★★★★


映画にたとえるなら、仏ヌーベルバーグの開拓作品「勝手にしやがれ」(ジャンリュックゴダール)のそれまでの系譜に照らした恐ろしく新鮮な感覚(とその難解さ)に近いでしょうか。